今回は、「新世界より」という小説をご紹介していきたいと思います。私はSF系の作品も結構読むのですが、この作品はとてもお気に入りの一つです。
この小説は貴志祐介氏による作品でアニメ化もされました。
世界観は、現代日本から1000年後の日本で主人公たちは超能力を使うことができる世界です。
ストーリーももちろんおもしろいのですが、一番考えさせられたのは物語にでてくる「バケネズミ」、超能力を持つ人間たちに服従していて見かけや言語能力が低い生命体が多くこの世界では超能力を持つ人間たちに家畜のような扱いや「差別」されています。
「差別」といったのは、実はこの「バケネズミ」はネズミのような格好で当初こそ超能力を持つ人間たちにとって都合のいい存在というのが誇張されていたのですが、物語の最後で実は「超能力を持たなかった人間」が「超能力を持つ人間」に対しての反抗や反乱などができなくするために遺伝子操作をしたということが分かってきます。
いや、本当に恐ろしいですね。最初から小説を読んでいた方、アニメを見られていた方などはこの事実に気が付いた時、背中がゾクッとするような感覚になったのではないでしょうか。
特に、その事実は最初秘密にされていて、主人公たちはその真実に偶然をきっかけに迫っていくわけですが、「世の中には知らなくてもいいこともある」という例ではないでしょうか。
この世界では最初倫理委員会や教育委員会なる組織が最初権力を持っていて「超能力を持った人間」と「持たざる人間」との間で起こった衝突などの事実は伏せていました。
科学ではなく、超常の力の正しさを主張したわけですね。
それに気が付いて主人公たちは「本当のこと」を知るために探索を続けるのですが、ある日絶対に起こらないと思っていた「バケネズミ」たちから反乱を起こされます。
当然ですよね、今まで不当な扱いを受け、醜い姿、環境の悪い場所でずっと「超能力を持つ人間」に使役されてきたのですし、当の本人たちはそういった歴史すらわずかな人間しかしらない。自分たちは人間であったことすら忘れられ、自分たちすらも人間であったことを忘れさせられたんですから。
今の現代社会でも犬や馬などといった動物は人間に使役されています。しかし、その代わりに食べ物をもらったり家族としてかわいがってもらっていたりしますよね。
しかし、実際には言葉や言語でのやり取りや複雑過ぎるコミュニーケーションはできません。
人間には、かつて身分の違いから奴隷にされ「人間が人間を奴隷として使役する」という人権もなにもないことが当たり前の時代がありました。
しかしそれは「相手が人間だから人権侵害にあたる」ということで、では馬や犬のように人間の都合で扱っていい動物を「作る」ならどうが、という倫理感に訴えることが描写されています。
「人語は話せないが使役される命令は理解できる」「思考は動物程度の能力で使役しても自分が迫害を受けていると理解できる知能を持たない」という動物を作り上げたということです。とことん人間に都合がいいわけです。
本当に恐ろしいお話ですが、これは現実でも遺伝子操作の技術でできてしまうんじゃないかというお話です。
いや、本当にこんな残酷なことをしない良い世の中になってほしいですね。
なかなか考えさせられました。
余談ですが、この「新世界より」のアニメではドヴォルザークの「家路」が流れるシーンがあります。
とても世界観にマッチしていて見てみると引き込まれますので、小説、アニメともに一度ぜひ見て読んでみてください。